8月15日の終戦記念日前後には日ごろ政権寄りの報道で評判の悪いNHKでも先の大戦や大戦になだれ込む前夜の動きを検証する見ごたえのある番組などがあって、なかなか力が入っていました。「憲法で自衛隊を明記し、自衛隊の存在や立ち位置を明確にし、自衛隊員として国防を担うという誇りをもって任務に当たれる環境を整備したい」という安倍首相は、南方諸島での戦いの悲惨さや、国内外の多くの犠牲者の上にもたらされた戦後の平和憲法について、どう思いを馳せたのでしょうか。
終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で安倍晋三総理は、先の侵略戦争での周辺アジア諸国に対しての加害責任に触れることはなく、「我が国は戦後一貫して平和を重んじる国として歩んできた。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきた」と述べたうえで「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。(この誓いは)決して変わることはない」と胸を張って言っておりました。しかし、沖縄慰霊の日でも、原爆忌での挨拶でも、彼の言葉には実が無いというか、苦悩の末にようやく絞り出したというような趣がちっともないという点で一貫していると感じました。
最近、第二次世界大戦当時の英国首相を描いた「チャーチル」というビデオを見ましたが、そこでは多くの若者に死ぬことを強いるノルマンディー作戦前にチャーチルが苦悩する姿が描かれていました。すべてを真実とは思いませんが、軍隊を動かすことには責任者としての葛藤があり、若者の命を奪うことへの責任の重さの自覚、その為の入念な調査や的確な準備が必要だということをこの映画は丁寧に描いていました。
ところが、NHKのドキュメンタリーを見ると、旧日本軍の上層部には、兵隊を戦場に送るに際してそのような苦悩はあったのかと考えざるを得ないところが多々描かれていました。こうした旧日本軍の在り様と安倍首相が旗を振る今の改憲論議は大層ダブってみえるところが大きな問題と感じます。イラク派兵の日報隠し、イージスアショアでの杜撰な調査、欠陥が指摘されるF-35の大量購入など、自衛隊の外形的整備のみに囚われていて、いざ戦になれば自衛隊員の血が実際に流れかねない自衛隊活動の中身の議論が飛んでいます。改憲を叫ぶ人たちからこそ、この場当たり的状況への抗議があってもしかるべきですが、批判もありません。改めて、安倍首相の主導する改憲論議は実の無い、政治家としての苦悩の無い、国民に対して無責任な改憲論議だと感じたことでした。