菅義偉首相が9月3日に、今月末に予定されている党総裁選に立候補しないことを表明し、その結果首相も退任することになって以来、メディアでは自民党の後継総裁が誰になるかの報道一色になっています。時の首相が政権運営に行き詰まるごとに自民党総裁の首をすげ替えて、疑似的な政権交代を演出して国民の支持を繋ぎ止めるというのが、これまでの自民党のやり方でした。しかし、今回の自民党総裁選を見ていると、国民の支持を失った安倍、菅政治の総括というものをまともにしないで、継承と忖度を続ける政治の競い合いにしか見えません。4人の候補者は皆が皆、9年以上の長きにわたる自公政権の中枢で仕事をしてきた人たちですから、まともな総括をしたら総裁選などには出られる訳がないのかもしれません。メディアだけでなく、国民の側の見識も問われる場面です。
コロナ禍の今、私たちは誰もが経験したことのない困難な場所に立っていると思います。日本の社会、経済の弱点や脆さが露呈しながら、何とかしてほしいという民意というものがないがしろにされ、コロナの最中でも続いた失政で、もはや国民生活は破綻に瀕しているのではないかと感じます。政治に対する信頼は地に落ちてはいますが、やはり社会を大きく変えるのは政治でしかなく、高い志を持った政治家と政党に期待するしかありません。自民党のコップの中の総裁選挙に騙されず、国民は近くある衆議院選挙に本来的な希望を託すべきでしょう。
さて困難な状況に直面しているのは日本だけでは無く、世界的な問題であることを先日の21日にあった国連総会でグテレス事務総長が演説していました。事務総長は、新型コロナウイルスの世界的大流行や気候危機の中で「不信という病」が広がっていると指摘。平和、気候、貧富.gender.デジタル.世代.という六つの分野で、世界に拡大した格差や分断に今こそ橋を架けなければならないと語っていました。米国が撤退した後のアフガニスタンの混乱状況を見ても、その米国で学歴での雇用格差が進み、生き甲斐が持てずに薬物で寿命を縮める「絶望死」が増えている状況を見ても、事務総長の懸念はもっともなことと思います。こうした呼びかけに対して、我が国には世界的視野でも果たすべき役割が相応にありますが、まずは国内で広がる格差や分断に対してしっかりとした目と構えを持ち対峙する必要があります。そのためには、自民党総裁の首のすげ替えではなく、国民本位の政治への切り替えにこそ期待して、総選挙を迎えなければと思う次第です。