診療報酬制度が変わる中で新年度が始まりました。それでも2月24日に始まったロシアによるウクライナへの「軍事作戦」の行方から目と心が離せません。21世紀になった今、数百万という規模の国民の国外避難や残忍な戦争犯罪と言われる行為を世界が目の当たりにして、様々な反応が世界中で起こっていると思います。この日本でも、今回の事態をどう受け止め、どう対応すべきか、私たちに悩ましい問いを突き付けています。避難民の受け入れや支援、停戦後の復興支援が重要であることは言うまでもないことですが、同時に重要なのは、日本が国際社会においてどのような姿勢を示し行動するかという問題だと思います。
ウクライナへの侵攻直後から、憲法9条の問題が議論され始め、核共有や非核3原則の見直し、敵基地攻撃能力などの問題が取りざたされています。しかし、こうした勇ましい議論はいわばどのように国を守り抑止するのかという、現実手段や戦略の問題、力対力の均衡論のレベルの議論です。そうした中で、岸田首相が「力による現状変更は認められない」と当初に述べていたのはある意味で大事なメッセージでした。ですが、日本は被爆や敗戦の経験を経て生まれた独自の憲法を持っており、その憲法前文の中で「平和維持のために努めている国際社会の中で名誉ある地位を占めたい」と宣言しているのを思い起こすと、日本がどのようにウクライナ問題と今後の国防政策に臨むのか、大変気になるところです。
理念を表明することなく力の均衡論ばかりを説いても、国際社会で名誉ある地位は得られそうもありません。かといって、理念だけで国を守れるのかという現実的な声もあるでしょう。ウクライナの人々が命を賭けて守ろうとしているものは何なのか、それは国や個人としての尊厳、自由や独立、民主主義といった日本の憲法でも大切にしているものではないかと思いますが、岸田首相が今こそウクライナとロシアに対する姿勢を、憲法理念に照らして、わかりやすく内外に発信すべきです。しかし、その一方で、そうした大切なものを守るために徹底抗戦せざるを得ないウクライナの人々の命が日々失われ続けているという現実が、大変に悩ましく、重く、深い「理念と現実の矛盾」を私たちに突き付けていると感じます。
島国に住む日本人は日ごろから国防を現実問題として考える習慣がないように思います。憲法記念日が近づくと右に「核共有」や「敵基地攻撃能力」まで持ち出すタカ派と、左に自衛隊は憲法に照らせば違憲というリベラル派での議論が盛んになりますが、今回のウクライナ問題は、これら理想と現実をめぐる両サイドでの議論の真ん中を埋めるような、平和外交の追求も含めた,真剣で幅広い国民的議論が必要であることを示しているように思われます。皆さんはどうお考えでしょうか。