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9月理事会、理事長あいさつ

2016.10.04

井上先生を偲んで

かねて病気療養中であった、清水ヶ丘セツルメント診療所の前所長、井上憲治先生が8月28日にお亡くなりになりました。本理事会の冒頭の挨拶に代えて、井上先生の略歴をご紹介して皆さんで先生を偲ぶ時間にしたいと思います。

井上先生は、昭和49年(1974年)に横浜市大医学部ご卒業しましたが、学生時代から熱心に取り組んでいたセツルメント活動を継続できるようにと、同年に青森保健生協健生病院に入職しました。セツルメント運動(セツルメントうんどう、英:settlement house movement)とは、「持つ者と、持たない者がともに相集って一定の地域、場所で共同して支えあう精神に基づくボランタリズム運動で、近代の社会福祉、ソーシャルワークの形成発達に大きな影響を及ぼしたといわれる運動」と言われています。先生が入職した弘前にある健生病院は、当時農村医学をはじめとした地域医療に力を入れていて、先生も過疎の村での検診、健康つくりのための自治体の組織つくり、土石流災害や台風災害で被害を受けた村への診療支援等に励まれたということです。昭和63年(1988年)には青森保健生協協和病院院長、平成6年(1994年)には青森保健生協あおもり協立病院院長となってご活躍の後、平成10年(1998年)4月1日に横福協へ入職され、清水ヶ丘セツルメント診療所の所長となりました。この転職の背景には、同じく清水ヶ丘診療所で学生時代にセツルメント活動をした仲間であった前理事長の川崎博通先生との強い絆がありました。当時、所長の後継問題で苦労していたセツルメント診療所の所長に快く納ってくださり、8年を過ごして診療所設立50周年を迎えました。その時の自分を「古巣に帰った鮭の様」と先生は回想しています。その後も先生は、「時代は変わっても、学生セツルメント診療所活動の精神・歴史を引き継いだ診療活動を今後も目指してゆきたい」と50周年誌の終わりに記しています。

2014年3月、先生は定年を迎えましたが、引き続き所長として勤務することを決意され、体の続く限り、思いのこもった診療所で、セツルメント活動家としての診療を続ける覚悟であったと思われます。しかしながら、2015年4月14日から、突然の脊椎骨折による激しい背部痛により休職。やがてそれは悪性腫瘍の転移による病的骨折であることが判明し、闘病を続けてこられました。昨年夏にお見舞いをした際には小康を得て自宅療養をしておられ、今年春頃のセツルメント診療所復帰の希望を語っておられました。しかしながら、その希望はかなわず、本年8月ご逝去された次第です。

井上先生の生涯をセツルメント運動の視点だけで語りきれるものではありませんが、それを通してみるだけでも社会との関わりを大切にした医療人、地域医療に尽くした医師としての姿が浮かび上がってきます。地域医療への貢献と社会変革への参画を目指す当法人の歩みへの貢献の大きかったことに改めて感謝して、皆さんと共に先生のご冥福を祈りたいと思います。