9月1日は防災の日ですが、その端緒となった関東大震災から今年は100年目となります。100年前のこの時期、横浜を中心とした被災地で多数の朝鮮人・中国人が虐殺されたことは皆さんもご存知と思います。
震災で横浜の市街地のほとんどが壊滅状態になり、市役所や警察署も被害を受け、行政や治安が機能マヒに陥り、火災と余震に襲われ続けた市民は不安にかられていました。この混乱の中で「朝鮮人が井戸に毒を入れる、暴動を起こす」などというデマ(根拠のない噂≒ヘイトスピーチ)が流されました。翌9月2日、政府は軍隊の力で治安を維持するため東京に戒厳令を適用し、3日には神奈川県にも拡大し、横浜に軍隊を派遣しました。こうした中、異常な緊張状態のもとで、各地で在郷軍人会や青年会を母体として組織されていた自警団の中に、朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、また中国人をも殺傷する者がいました。
流言を肯定し自ら流す、武装・警備を容認する等の警察署による官製のヘイトスピーチが誘因となって、市民自警団によるヘイトクライム(外国人虐殺)を引き起こしていたことが、幾多の証言からその後明らかになっています。京浜工業地帯として発展しつつあった横浜では、朝鮮からの出稼ぎ労働者が多く暮らしており、当時日本の植民地の民だった朝鮮人への差別意識と迫害の裏返しとしての恐怖感が背景にあったとされます。
ここ鶴見においては、デマをきっぱり否定し、朝鮮人・中国人400人以上を鶴見警察署にかくまった大川常吉署長の逸話も伝えられています。百年後の横浜に暮らす・働くわたし達が教訓とすべきは、警察官が住民を守るという当たり前のことが美談としてたたえられる社会状況とその異常さに、目を向けることではないでしょうか。いまも、川崎や新大久保で在日コリアンに対する憎悪をむき出しにしたデモを街中で行う人たちがいます。こうしたヘイトスピーチを許すことが、関東大震災時のようなヘイトクライムに繋がります。外国人差別だけでなく、障碍者に対する差別的発言を容認する社会が、津久井やまゆり園における障碍者の大量殺人事件を生んだのではないでしょうか。
川崎市では、ヘイトスピーチに刑事罰を科すことを盛り込んだ「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」を施行し、相模原市も悪質なヘイトスピーチを禁止する「相模原市人権尊重のまちづくり条例」策定を検討中です。100年前虐殺の舞台となった、ここ横浜市においても、ヘイトクライムを規制する「反差別人権条例」が制定されることを強く希望するものです。